九州大学空手道部略譜略譜文責:隈 正之助(昭和33年卒)平成26年4月一部改


 昭和2年、東京大学に空手道部が創設された。同4年、平山一雄先生(故福大教授)が同部主将となり、船越義珍師に松涛館流を、後に大塚博紀師に和道流を学ばれた。

 昭和12年、旧制福岡高等学校に同校教授平山一雄先生を師範として、舩津純彦師により、空手道部が創設され、同15年正式の部となった。舩津先生は平山氏より、松涛館流、和道流を習得された後、昭和13、4在学中沖縄に渡られ、宮城長順師に剛柔流を学ばれ、他方、中国拳法も研究され、各流派の師とも交流、空手の奥義に精通し、自ら一家をなされていた。

 昭和21年、終戦による武道禁止令の下、占領軍司令部に「空手はジャパニーズ・ボクシングでありスポーツだ」と直訴し、許可され、絶えることなく、拳法同好会として存続した。

 昭和25年、舩津純彦先生を師範として、監督、為末紀元(旧姓佐々木)先生とし、主将、松岡恒憲先生(元九州学生空手道連盟名誉会長)により、新制九州大学空手道部が教養部に設立された。
同時に旧制福高OBを中心に「魔破門会」(Wille Zur Machtより命名)を、流派にこだわらずアマチュアリズムに徹した研究、指導、普及、段位認定などを行うべき機関として開設した。
この時をもって九州大学空手道部の創設時としており、平成21年には創設60周年を迎えた。

 昭和27年、九州大学本学に存在していた松涛館流の空手道部と合同した。
同年九州大学空手道部主将だった松岡恒憲先生は、九州の各大学空手道部に呼びかけて、九州学生空手道連盟を設立され、これは全国学生空手道連盟の先駆けとなった。同年九州大学教養部で第一回交歓演武大会が開催され、今日に至っている。第三回より試合形式で行われることとなった。
 
 尚、当時流派の異なる各大学空手道部の交流は希有であったが、九大空手道部は率先してこの壁を超え、立命館(剛柔流)、同志社(剛柔流)、関西学院(糸東流)、東京大学(和道流)、東洋大学(糸東流)との交換遠征交流をこの年より始めた。七大学戦、学連の大会成立までこれは続いた。(七大学とは、旧帝国大(東大、京大、名大、阪大、東北大、北大、九大)のことである。)

 昭和32年秋には、全国学生空手道連盟も発足し、全国大会が行われるようになった。九大は33年より参加している。

(過去の主な戦績)
全九州大会団体戦全九州大会個人戦
第3回(S29年) 準優勝 第1回(S34年) 優勝 藤井彰
第5回(S31年) 準優勝 第4回(S37年) 優勝 西田昌利
第6回(S32年) 優勝 準優勝 近松俊暢
第10回(S36年) 優勝 第5回 準優勝 浦本稀市
第11回(S37年) 準優勝
第25回(S52年) 準優勝

昭和30年、当時九大医学部在籍であった為末先生の肝入りと指導により、医学部にも空手部が創設され活動を始め今にいたっている。医科系では毎年山口・九州医科体育大会が行われている。(昭和36年より)九州大学医学部空手道部と称している。
成績:昭和60年、優勝。平成9年、優勝。平成12年、優勝。平成13年、西日本大会優勝。

平成11年4月29日、創立50周年記念演武会・祝賀会を開催。三本学連会長、松山九州学連会長、津山全日本監督等の参加を得て、盛大に行われた。

九州大学には体育総務部公認の部として、当部以外に近年、芦原空手部、錬心館空手部が存在しています。しかし、学連等主催の北部九州大会、山口九州医科大会、インカレ、西日本大会、全国大会、七大学大会、全国国公立大会等に九州大学を代表してエントリーしているのは、当空手部である。

九大空手部のモットーは、徹底したアマチュアリズムを守り、流派にこだわらず、良きものは何でも受け入れ、自由、自主、平等、自立を宗としている。OBの支援と指導により大学人としての品位を守り、良き伝統を引き継いでいきたいと願っている。

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